2010年 03月 26日
再び寄付の話-小さなことでも- |
こちらでは、週末とかに家でごろごろしていると、来客の予定など滅多にないのに時々ピンポーンとチャイムが鳴ることがあります。多分平日にもあるのですが、そういうのの大半は何らかのファンドレイジング活動です。子供が回っていることもあれば、高校生や大学生らしき人、時には大人もやっています。明らかに布教活動と思われるものはきっぱりお断りしますが、交通遺児に本を贈るためとか、北海の自然や生き物を油田開発から守るとか、それなりの目的のために寄付を募っているという場合は、できるだけ応じるようにしています。以前はあらゆるものに対してお断りしていたのですが、ある時からだんだん気持ちが変わってきたからです。
寄付してますなんてことをブログでわざわざ書くのもどうかとは思いますが、そういうことに対する考え方がこの数年でだいぶ変わったなあと思うので、ちょっと問いかけてみたいなと思って。いやな人は読まないで結構です。
以前は、そうやって寄付を求めて来るのって何か胡散臭いし、一切無視していました。でも子供たちの学校での様々なファンドレイジング活動などを見るにつけ、そういうのもあるんだと理解したのが一点。それと、ほとんどのものは所詮5ドルとかそんな程度の金額ですむので、たとえだまされたとしても誰かの足しにはなるのだろうし、まあいいじゃないかと思うようにしたことがもう一点。
以前、「寄付の文化をもっと日本にも!」というエントリーでも書きましたが、スーパーマーケットの出入り口などでも、ホームレスの人だったり、何かの活動をされている人だったり、という人によく遭遇します。こういうのも以前はひたすら無視していましたが、今はできるだけ1ドルとかでも差し上げるようにしています。でも何となくコワそうな感じの人もいますし(実際はそんなことはないんですけど)、これを実際にやるのっていろんな意味で結構勇気いるんですよね。
政治を変えるとか世のなかの仕組みを変えるとか、自分はそういう立場にないし、ちょっとなれそうもない。だからといって今の社会はここがだめだとか、政府は何もわかってないとか、批判ばかりして自分が何も行動しないんじゃ本当に意味がないし、小さくてもできることをしましょうという、当たり前の結論に至りつつあるというだけのことなのですが。
もちろんたとえば自分が職を失ったら、いろいろなものをいただく側に回るかもしれないわけですから、そういうことができる状態にある間だけすればいいわけです。でもだからこそ、できるときにはできるだけのことをしておく、というのは大事なんじゃないかなとも思います。
こういうの、一度お願いする側に回ってみると、寄付のありがたさが本当にわかるのではないかと思います。ちょっと話は飛びますが、先日のJBCバイオツアーでも、朝ごはんの費用を少しでも浮かせるために実はいろいろと画策していて、あの店からベーグル、あそこからコーヒーみたいな感じで、ドネーションいただく手はずを整えていました。実際はたまたまこの3月から、宿泊したホテルがしっかりとした朝食を提供してくれることになったので、それらは必要なくなったのですが、こちらにはそういうドネーションのカルチャーが本当に根付いているのだなあと感心したものでした。ちなみにこれはシリコンバレーの日本人ボランティアといえばこの方、ゆみさんのアドバイスで知ったことでした。
話を戻すと、日本でも街角でいろいろな署名や寄付を募っているグループがあると思います。これらを無条件に無視するのではなく、ちょっとでも話を聞いてあげたり、ちょっとでも寄付してみたり、ということを考えてみてはいかがでしょう?もちろん中には怪しいものもあるかも知れません。でも怪しいのか怪しくないのかを簡単に見極めることはできませんし、疑わしいということで全部無視していたら、本来支援が届くべきところにも一切何も届かないことになります。多少のリスクというか無駄は覚悟の上で、今仕事と収入があって、財布に何がしかのお金が入っている人は、たとえ100円でも500円でも、投じてみてはいかがでしょうか?何となくいい気持ちになりますよ。どこぞの池や賽銭箱に投げるよりも、ずっと意味があるかも知れないですよ?!
寄付してますなんてことをブログでわざわざ書くのもどうかとは思いますが、そういうことに対する考え方がこの数年でだいぶ変わったなあと思うので、ちょっと問いかけてみたいなと思って。いやな人は読まないで結構です。
以前は、そうやって寄付を求めて来るのって何か胡散臭いし、一切無視していました。でも子供たちの学校での様々なファンドレイジング活動などを見るにつけ、そういうのもあるんだと理解したのが一点。それと、ほとんどのものは所詮5ドルとかそんな程度の金額ですむので、たとえだまされたとしても誰かの足しにはなるのだろうし、まあいいじゃないかと思うようにしたことがもう一点。
以前、「寄付の文化をもっと日本にも!」というエントリーでも書きましたが、スーパーマーケットの出入り口などでも、ホームレスの人だったり、何かの活動をされている人だったり、という人によく遭遇します。こういうのも以前はひたすら無視していましたが、今はできるだけ1ドルとかでも差し上げるようにしています。でも何となくコワそうな感じの人もいますし(実際はそんなことはないんですけど)、これを実際にやるのっていろんな意味で結構勇気いるんですよね。
政治を変えるとか世のなかの仕組みを変えるとか、自分はそういう立場にないし、ちょっとなれそうもない。だからといって今の社会はここがだめだとか、政府は何もわかってないとか、批判ばかりして自分が何も行動しないんじゃ本当に意味がないし、小さくてもできることをしましょうという、当たり前の結論に至りつつあるというだけのことなのですが。
もちろんたとえば自分が職を失ったら、いろいろなものをいただく側に回るかもしれないわけですから、そういうことができる状態にある間だけすればいいわけです。でもだからこそ、できるときにはできるだけのことをしておく、というのは大事なんじゃないかなとも思います。
こういうの、一度お願いする側に回ってみると、寄付のありがたさが本当にわかるのではないかと思います。ちょっと話は飛びますが、先日のJBCバイオツアーでも、朝ごはんの費用を少しでも浮かせるために実はいろいろと画策していて、あの店からベーグル、あそこからコーヒーみたいな感じで、ドネーションいただく手はずを整えていました。実際はたまたまこの3月から、宿泊したホテルがしっかりとした朝食を提供してくれることになったので、それらは必要なくなったのですが、こちらにはそういうドネーションのカルチャーが本当に根付いているのだなあと感心したものでした。ちなみにこれはシリコンバレーの日本人ボランティアといえばこの方、ゆみさんのアドバイスで知ったことでした。
話を戻すと、日本でも街角でいろいろな署名や寄付を募っているグループがあると思います。これらを無条件に無視するのではなく、ちょっとでも話を聞いてあげたり、ちょっとでも寄付してみたり、ということを考えてみてはいかがでしょう?もちろん中には怪しいものもあるかも知れません。でも怪しいのか怪しくないのかを簡単に見極めることはできませんし、疑わしいということで全部無視していたら、本来支援が届くべきところにも一切何も届かないことになります。多少のリスクというか無駄は覚悟の上で、今仕事と収入があって、財布に何がしかのお金が入っている人は、たとえ100円でも500円でも、投じてみてはいかがでしょうか?何となくいい気持ちになりますよ。どこぞの池や賽銭箱に投げるよりも、ずっと意味があるかも知れないですよ?!
by a-pot
| 2010-03-26 15:04
| SVの暮らし