2010年 04月 11日
記念日 |
2000年4月10日、私は日本の製薬会社から、当時共同研究先であったベイエリアのベンチャー企業への出向社員(客員研究員)として、午前11時10分着のJAL2便でこの地に降り立った。当時はまだJALを応援していたなあ。それはともかく、サンフランシスコ空港で、現地で私のボスとなるVPに出迎えてもらい、途中ホテルに荷物を置いて、そのまま会社に向かった。着いたのは午後1時半頃だっただろうか。確か最初にHR(人事)に紹介され、私の住居探しの予定や、ベイエリアに関する簡単なガイダンスみたいなものを受けた後、ケミストリーでぐるーぷのみんなに挨拶し(それ以前の出張やビデオ会議等でメンバーはだいたい知っていた)、仕事の予定の打ち合わせをこれも簡単に行い、ラボ内で私が使うベンチを教えてもらったりしているうちにその日は夕方になったと思う。会社でレンタカーを手配してもらい、その車を運転してホテルに向かった。
当時そのベンチャーにとって、私が所属していた日本の会社はお金を出してくれる共同研究先だったこともあってか、私はそれなりに手厚い待遇を受け、住居探しもHRの方がやってくれた。ただそのかわり、着いたその日から上記のように会社に行き、翌日からいきなりフルタイムで仕事をするはめになったんだけど。着いたのは月曜日だったので、時差ぼけと闘いながらの1週間はけっこうきつかったのを覚えている。
そのときは1年の予定で来たのだけど、それから1年後にアメリカに転職、移住する決心をすることになろうとは、まったく、みじんも想像だにしていなかった。ともあれ私にとって4月10日は、出張とかでなくアメリカに滞在しての仕事開始記念日。その日から10年が過ぎた。当時36歳だったけど、今は46歳。その間自分はベストを尽くしたのだろうか。もっともっとやれたこと、やるべきだったこともあったのではないか。やれることはやったような気もするが、完全なんてことはあり得ないし、正直わからない。当たり前だけど10年もあればいろいろなことがあって、あらためて思い起こすと感慨深い。この週末は、そのあたりをゆっくりと振り返ってみようと思う。
当時そのベンチャーにとって、私が所属していた日本の会社はお金を出してくれる共同研究先だったこともあってか、私はそれなりに手厚い待遇を受け、住居探しもHRの方がやってくれた。ただそのかわり、着いたその日から上記のように会社に行き、翌日からいきなりフルタイムで仕事をするはめになったんだけど。着いたのは月曜日だったので、時差ぼけと闘いながらの1週間はけっこうきつかったのを覚えている。
そのときは1年の予定で来たのだけど、それから1年後にアメリカに転職、移住する決心をすることになろうとは、まったく、みじんも想像だにしていなかった。ともあれ私にとって4月10日は、出張とかでなくアメリカに滞在しての仕事開始記念日。その日から10年が過ぎた。当時36歳だったけど、今は46歳。その間自分はベストを尽くしたのだろうか。もっともっとやれたこと、やるべきだったこともあったのではないか。やれることはやったような気もするが、完全なんてことはあり得ないし、正直わからない。当たり前だけど10年もあればいろいろなことがあって、あらためて思い起こすと感慨深い。この週末は、そのあたりをゆっくりと振り返ってみようと思う。
by a-pot
| 2010-04-11 03:09
| SVの暮らし