2005年 06月 29日
新聞記事 |
いわゆるマスコミというのはしばしば、悪者にされる。
悲惨な事故や事件の被害者に思いやりのかけらもない取材をするとか、話題になったひとりの人間をよってたかって攻撃するとか、他人の家にずかずかと土足で踏み込むような無礼さだとか、取材に答えて言ったことと全然違うことを書かれる、とか。これだけよく目にし、耳にするのだから、実際そういうことは多いのだろう。
でも当然ながら、いつでも誰でもそういうわけではない、と思うし、それを実感できることがあった。
先週金曜日のJBCフォーラムに、ある新聞社の方が取材に見えていた。事前に連絡をいただいていて、そのフォーラムの様子などを、後日記事にしたいとのことだった。そういった場合JBCでは、記事の原稿を事前にチェックさせていただくようにお願いしている。フォーラムではいつも、いわゆる「ここだけの話」が多く、それがこの会のおもしろさのキモでもあるからだ。そういった「ここだけ」の発言が勝手に一人歩きされては発言者も困るし、そういうことがあると言いたいことも言えなくなってしまい、フォーラム全体がつまらないものになってしまうことを危惧するからだ。
新聞社の担当の方は、「普通はしないのですがそういう事情なら」ということで、事前のチェックに同意してくれた。早速ドラフトを送っていただき、関係者に転送したところ、けっこうな数のコメントがついた。それらをまとめて返信したところ、一応すべてのコメントに対応するような形に改訂していただけた。遅れてきたコメントも追加してお送りしたところ、再度改訂していただき、全員がほぼ納得できるものになった。業界の常識がどんなものなのか知らないが、正直言って私は感動した。それほど長い記事ではない。他にもたくさんの記事を担当されているに違いない。これがある日の新聞のどこかのページのほんの一角を占めるだけの記事であるにも関わらず、取材先に対してこれだけ細かい対応をしていただけるものなのだと。
文章がうまいとかうまくないとか、もっと書きようがあるだろうとか、読む方はいくらでも言える。しかも読んでいるのが取材された当事者であれば、本当はこうなんだ、なんでこういう風に書いてくれないのかといった思いが起こるのも当然だろう。でも書いているのは記者の方であって、我々ではない。ましてJBCの広告文を書いてもらっているわけではないのだ。その記者が何を見て、どう感じたか、なのである。それがこちら側の思惑と違っていたとしても、あんたにはわかっていないと単純に責められるだろうか? 取材対象であるこちら側はずっと活動をしてきて、JBCとはこういうものだというイメージがある。でもそれをほんの少しだけ見て、すべてを理解するのは無理というものだろうし、もし何かをわかってもらうことができなかったならば、それはわからせることができなかったこちら側の責任だとも言える。まあそこらへんをきちんと上手に掘り起こすのが、あるいは記者の醍醐味なのかも知れないが、現実的にはいろいろな制約があるだろうし。
物事言い始めればきりがないけれど、たったひとつの記事に対する真摯な姿勢にとにかくちょっと感動したのです。
悲惨な事故や事件の被害者に思いやりのかけらもない取材をするとか、話題になったひとりの人間をよってたかって攻撃するとか、他人の家にずかずかと土足で踏み込むような無礼さだとか、取材に答えて言ったことと全然違うことを書かれる、とか。これだけよく目にし、耳にするのだから、実際そういうことは多いのだろう。
でも当然ながら、いつでも誰でもそういうわけではない、と思うし、それを実感できることがあった。
先週金曜日のJBCフォーラムに、ある新聞社の方が取材に見えていた。事前に連絡をいただいていて、そのフォーラムの様子などを、後日記事にしたいとのことだった。そういった場合JBCでは、記事の原稿を事前にチェックさせていただくようにお願いしている。フォーラムではいつも、いわゆる「ここだけの話」が多く、それがこの会のおもしろさのキモでもあるからだ。そういった「ここだけ」の発言が勝手に一人歩きされては発言者も困るし、そういうことがあると言いたいことも言えなくなってしまい、フォーラム全体がつまらないものになってしまうことを危惧するからだ。
新聞社の担当の方は、「普通はしないのですがそういう事情なら」ということで、事前のチェックに同意してくれた。早速ドラフトを送っていただき、関係者に転送したところ、けっこうな数のコメントがついた。それらをまとめて返信したところ、一応すべてのコメントに対応するような形に改訂していただけた。遅れてきたコメントも追加してお送りしたところ、再度改訂していただき、全員がほぼ納得できるものになった。業界の常識がどんなものなのか知らないが、正直言って私は感動した。それほど長い記事ではない。他にもたくさんの記事を担当されているに違いない。これがある日の新聞のどこかのページのほんの一角を占めるだけの記事であるにも関わらず、取材先に対してこれだけ細かい対応をしていただけるものなのだと。
文章がうまいとかうまくないとか、もっと書きようがあるだろうとか、読む方はいくらでも言える。しかも読んでいるのが取材された当事者であれば、本当はこうなんだ、なんでこういう風に書いてくれないのかといった思いが起こるのも当然だろう。でも書いているのは記者の方であって、我々ではない。ましてJBCの広告文を書いてもらっているわけではないのだ。その記者が何を見て、どう感じたか、なのである。それがこちら側の思惑と違っていたとしても、あんたにはわかっていないと単純に責められるだろうか? 取材対象であるこちら側はずっと活動をしてきて、JBCとはこういうものだというイメージがある。でもそれをほんの少しだけ見て、すべてを理解するのは無理というものだろうし、もし何かをわかってもらうことができなかったならば、それはわからせることができなかったこちら側の責任だとも言える。まあそこらへんをきちんと上手に掘り起こすのが、あるいは記者の醍醐味なのかも知れないが、現実的にはいろいろな制約があるだろうし。
物事言い始めればきりがないけれど、たったひとつの記事に対する真摯な姿勢にとにかくちょっと感動したのです。
by a-pot
| 2005-06-29 13:42
| SVの暮らし