2005年 01月 15日
小さな化合物を作ろう |
スタンフォードのクラークセンターで、LSJ(Life Science in Japanese)のセミナーに参加してきた。マッキンゼー・アンド・カンパニーの仙石さんによる「研究マネジメントの改善手法」というお話。主に製薬会社のケースについて、大変興味深いお話だったが、その中のスライドに出ていたあるデータを見て、このところしばらく、ぼーっと考えていたことをあらためて思い出した。
昔の薬と現在の薬を比較すると、分子量の平均が300台から400台に上がり、自由回転結合の数(要するに分子の複雑さ)の平均が4から7くらいに増加しているというもの。頻繁に指摘されていることなのだが、ターゲット分子に対する選択性やポテンシー向上のために仕方がないと考えられているところがある。しかし最近の薬の毒性や、発売中止問題を見るにつけ、仕方ないで済ませてはいけない問題なのかも知れないと思うのだ。これはあくまで感覚的な印象で、私自身科学的根拠は持っていないが、ごちゃごちゃと官能基を増やし、分子をフクザツにして、一見標的分子に対する選択性を向上させたかのように見えても、しょせん薬は異物、ややこしい構造になればなるほど体内のあちこちで思わぬ副反応を引き起こす可能性が高まったりするのではないだろうか。
分子量と分子のフクザツさが上がってしまうもうひとつの理由は、特許である。医薬品は新規な構造であるほど特許で保護しやすい。既知の化合物だと、知的財産権を独占することが困難になるので、医薬品化学研究者としては、今までに知られていない新規な化合物を作りたくなる。そうすると、ついつい分子を大きく複雑にする方に流れていってしまうのである。
でもそれが発見しにくい(低頻度で起こる)重篤な毒性につながるとすると、そうした考えを改める必要がある。アスピリンやアセトアミノフェンを始めとして、昔から使われている薬は、シンプルな構造を持ち、分子量も小さいものが多い。それらは適切な投与量で使っていれば安全性も高い。小さな分子では選択性が出せないと考えられがちだが、選択性=安全性の図式が崩壊しかけている以上、小さな分子にもっと知恵を絞るべきではないだろうか。簡単に思いつくような化合物はほとんど作りつくされているかも知れないが、それでも組み合わせ(ケミカルスペース)としてはまだ無限に近くあるのだから。
昔の薬と現在の薬を比較すると、分子量の平均が300台から400台に上がり、自由回転結合の数(要するに分子の複雑さ)の平均が4から7くらいに増加しているというもの。頻繁に指摘されていることなのだが、ターゲット分子に対する選択性やポテンシー向上のために仕方がないと考えられているところがある。しかし最近の薬の毒性や、発売中止問題を見るにつけ、仕方ないで済ませてはいけない問題なのかも知れないと思うのだ。これはあくまで感覚的な印象で、私自身科学的根拠は持っていないが、ごちゃごちゃと官能基を増やし、分子をフクザツにして、一見標的分子に対する選択性を向上させたかのように見えても、しょせん薬は異物、ややこしい構造になればなるほど体内のあちこちで思わぬ副反応を引き起こす可能性が高まったりするのではないだろうか。
分子量と分子のフクザツさが上がってしまうもうひとつの理由は、特許である。医薬品は新規な構造であるほど特許で保護しやすい。既知の化合物だと、知的財産権を独占することが困難になるので、医薬品化学研究者としては、今までに知られていない新規な化合物を作りたくなる。そうすると、ついつい分子を大きく複雑にする方に流れていってしまうのである。
でもそれが発見しにくい(低頻度で起こる)重篤な毒性につながるとすると、そうした考えを改める必要がある。アスピリンやアセトアミノフェンを始めとして、昔から使われている薬は、シンプルな構造を持ち、分子量も小さいものが多い。それらは適切な投与量で使っていれば安全性も高い。小さな分子では選択性が出せないと考えられがちだが、選択性=安全性の図式が崩壊しかけている以上、小さな分子にもっと知恵を絞るべきではないだろうか。簡単に思いつくような化合物はほとんど作りつくされているかも知れないが、それでも組み合わせ(ケミカルスペース)としてはまだ無限に近くあるのだから。
by a-pot
| 2005-01-15 16:41
| 医薬、バイオ関連