2009年 12月 14日
放送好き? |
中学2年のとき、北海道の帯広市の第六中学校というところにいたのですが、ずっと憧れていた放送委員会に、どういう経緯か忘れたけどすっと加わることができました。
実働人数も少なく、いったん入ったらけっこうやりたい放題で楽しかった思い出があります。やりたい放題といっても自分が好きな音楽をかけるとかそういう程度で、公序良俗に反することなどあり得なかったから、かわいいものでしたが(笑)。
毎日昼休み(給食中)の番組を流したり、あとは下校時刻(夕方4時だったか5時だったか)の音楽をかけたり。これらの選曲を自由に行うことができました。アナウンサーという人たちがいて、これはなぜか必ず女子が行うことになっていました。細かい活動内容をあまり正確には覚えていないのですが、昼休みの放送は生放送で、主にDJ番組みたいなことをやってたのはよく覚えています。DJといっても私が選曲し、それぞれの曲の紹介文などの原稿を用意し、アナウンサーの女子にしゃべってもらうという、今から思えばちょっと?な形式。
とにかく私は当時よく聞いていたカーペンターズとか、まったくの自分の好みで曲を用意しては、レコードについていた解説文を切り貼りしたりして原稿を作り、1日15分程度の番組を構成していました。ミキサーもやっていたので、言ってみれば、企画、構成、演出、技術を全部担当させていただいていたわけで、本当に楽しいものでした。
とは言っても内容的には当たり障りないものだったので、特に褒められもしなければ文句も言われなかったと思います。各クラスで給食を配膳し、食べる間に流れているものなので、それぞれ食べることや自分たちのおしゃべりの方が大事だったでしょう。
みんなが食べている間に生放送しているので、私たち放送委員の給食は、それぞれのクラスの当番が放送室まで運んできてくれました。放送終了後にそこで食べたのですが、アナウンサーのみなさんは確か3人くらいが日々ローテーションでやっていて、それぞれけっこうかわいかったこともあり、そういう意味でも楽しかった思い出があります(^^;)。
放送委員のもうひとつの醍醐味は、始業式とか終業式とか全校朝礼とか、全校生徒が体育館に集まるイベントのときに、体育館の端の高いところにある小部屋でPAを担当することでした。最初にマイクやマイクスタンドを出して接続し、上記の小部屋で音量調節をします。全然大したことをするわけではないのですが、全校生徒が並んで気をつけ、休め、みたいな感じで校長先生などのお話を聞くのを、業務により(笑)ずっと高いところからリラックスして眺めていることが許されていたのです。終了後はマイクの片付けなどをして、みんなよりちょっと遅れてクラスに戻るというのも、何か特別な仕事をしているぞみたいな気分になったものでした。
当時流行していたBCL(Broad Casting Listener)にもけっこう燃えていて、海外からの日本語短波放送をよく聞いていました。番組の受信日時、内容、受信状態などを書いた受信報告書なるものを送ると、局からベリカード(verification card)というものをもらえて、さらに何度も送ったり投書が読まれたりすると、ベリカード以外にペナントやカレンダーなど、各局のグッズを送ってもらえることもありました。ラジオ・オーストラリアとかが特に人気で、ベトナムの声、モスクワ放送、VOA、BBC、など多くの曲が日本語番組を放送していました。中でもまぼろしの放送局と言われていたのが、エクアドルの首都キトから放送されているというアンデスの声(訂正: 私の記憶違いでこれはアンデスの声ではなくてアルゼンチン国営放送とコメントでご指摘いただきました)で、敵対国から妨害電波が出されているという話で、実際ノイズが多く、状態がいい日でもほとんどかすかにしか聞き取れませんでした。またアマチュア無線もやっていました。
中学3年になるときに東京に移り、趣味も少しずつシフトしていきましたが、基本的に無線とか放送とか番組制作とかいったものが好きでした。高校の間はそういう活動はしていませんでしたが、大学で放送研究部というサークルに入り、当時流行り始めていたミニFM局を作ったりもしました。ですからそういう業界に行っても不思議はなかったのですが、とある理由(左の筆者プロフィールの中には書いてありますが)で大学での専攻は化学だったので、気がついてみたら今のような仕事になっていました。
ただ現在JBCのメーリングリスト配信とかけっこう楽しんでやっているのも、上記の延長と言えるかも知れません。考えみるとあのMLも、単なる業務連絡だけでなく、もうちょっとおもしろくする創意工夫の余地があるかも知れませんね。
こんなことを書こうと思うきっかけになったのは、昨日とある集まりの中での会話からでした。それは自分が現在行っていること(たとえば就職活動とか)を詳しくブログに書いたりTwitterでつぶやいたりするということが、好き、楽しい、または平気という人と、絶対いやという人とに、かなりはっきり分かれるらしいということです。このブログを読んでくださっている方には明らかなように、私は相当好きな部類ということですね(^^)。
実働人数も少なく、いったん入ったらけっこうやりたい放題で楽しかった思い出があります。やりたい放題といっても自分が好きな音楽をかけるとかそういう程度で、公序良俗に反することなどあり得なかったから、かわいいものでしたが(笑)。
毎日昼休み(給食中)の番組を流したり、あとは下校時刻(夕方4時だったか5時だったか)の音楽をかけたり。これらの選曲を自由に行うことができました。アナウンサーという人たちがいて、これはなぜか必ず女子が行うことになっていました。細かい活動内容をあまり正確には覚えていないのですが、昼休みの放送は生放送で、主にDJ番組みたいなことをやってたのはよく覚えています。DJといっても私が選曲し、それぞれの曲の紹介文などの原稿を用意し、アナウンサーの女子にしゃべってもらうという、今から思えばちょっと?な形式。
とにかく私は当時よく聞いていたカーペンターズとか、まったくの自分の好みで曲を用意しては、レコードについていた解説文を切り貼りしたりして原稿を作り、1日15分程度の番組を構成していました。ミキサーもやっていたので、言ってみれば、企画、構成、演出、技術を全部担当させていただいていたわけで、本当に楽しいものでした。
とは言っても内容的には当たり障りないものだったので、特に褒められもしなければ文句も言われなかったと思います。各クラスで給食を配膳し、食べる間に流れているものなので、それぞれ食べることや自分たちのおしゃべりの方が大事だったでしょう。
みんなが食べている間に生放送しているので、私たち放送委員の給食は、それぞれのクラスの当番が放送室まで運んできてくれました。放送終了後にそこで食べたのですが、アナウンサーのみなさんは確か3人くらいが日々ローテーションでやっていて、それぞれけっこうかわいかったこともあり、そういう意味でも楽しかった思い出があります(^^;)。
放送委員のもうひとつの醍醐味は、始業式とか終業式とか全校朝礼とか、全校生徒が体育館に集まるイベントのときに、体育館の端の高いところにある小部屋でPAを担当することでした。最初にマイクやマイクスタンドを出して接続し、上記の小部屋で音量調節をします。全然大したことをするわけではないのですが、全校生徒が並んで気をつけ、休め、みたいな感じで校長先生などのお話を聞くのを、業務により(笑)ずっと高いところからリラックスして眺めていることが許されていたのです。終了後はマイクの片付けなどをして、みんなよりちょっと遅れてクラスに戻るというのも、何か特別な仕事をしているぞみたいな気分になったものでした。
当時流行していたBCL(Broad Casting Listener)にもけっこう燃えていて、海外からの日本語短波放送をよく聞いていました。番組の受信日時、内容、受信状態などを書いた受信報告書なるものを送ると、局からベリカード(verification card)というものをもらえて、さらに何度も送ったり投書が読まれたりすると、ベリカード以外にペナントやカレンダーなど、各局のグッズを送ってもらえることもありました。ラジオ・オーストラリアとかが特に人気で、ベトナムの声、モスクワ放送、VOA、BBC、など多くの曲が日本語番組を放送していました。中でもまぼろしの放送局と言われていたのが、エクアドルの首都キトから放送されているというアンデスの声(訂正: 私の記憶違いでこれはアンデスの声ではなくてアルゼンチン国営放送とコメントでご指摘いただきました)で、敵対国から妨害電波が出されているという話で、実際ノイズが多く、状態がいい日でもほとんどかすかにしか聞き取れませんでした。またアマチュア無線もやっていました。
中学3年になるときに東京に移り、趣味も少しずつシフトしていきましたが、基本的に無線とか放送とか番組制作とかいったものが好きでした。高校の間はそういう活動はしていませんでしたが、大学で放送研究部というサークルに入り、当時流行り始めていたミニFM局を作ったりもしました。ですからそういう業界に行っても不思議はなかったのですが、とある理由(左の筆者プロフィールの中には書いてありますが)で大学での専攻は化学だったので、気がついてみたら今のような仕事になっていました。
ただ現在JBCのメーリングリスト配信とかけっこう楽しんでやっているのも、上記の延長と言えるかも知れません。考えみるとあのMLも、単なる業務連絡だけでなく、もうちょっとおもしろくする創意工夫の余地があるかも知れませんね。
こんなことを書こうと思うきっかけになったのは、昨日とある集まりの中での会話からでした。それは自分が現在行っていること(たとえば就職活動とか)を詳しくブログに書いたりTwitterでつぶやいたりするということが、好き、楽しい、または平気という人と、絶対いやという人とに、かなりはっきり分かれるらしいということです。このブログを読んでくださっている方には明らかなように、私は相当好きな部類ということですね(^^)。
by a-pot
| 2009-12-14 05:21
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