2005年 01月 03日
A-POTとは(筆者プロフィール) |
もともとは自分で作っているこのHP。
作者: 赤間 勉 (Tsutomu Akama)
アメリカ、カリフォルニア、シリコンバレー (Sunnyvale市) 在住。妻と子供二人は2014年以降東京在住。Palo Altoにあるスタートアップバイオベンチャーで、リスクたっぷりのスリリングな環境を楽しんでいます。専門はmedicinal chemistry (2016年4月現在)。
Japan Bio Community のオーガナイザーもしています。
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子供の頃は、親が転勤族だったこともあり、水戸(生まれ)→東京→新潟→帯広→東京、と東日本を転々とする。それぞれの場所が、住めば都だった。
有明幼稚園(新潟)
新潟市立浜浦小学校(1~5年)
帯広市立柏小学校(6年)
帯広市立第六中学校(1~2年)
杉並区立東田中学校(3年)
小中学校時代の趣味: 野球、プラモデル、アマチュア無線、エレクトロニクス工作、魚釣り、フォークギターなど。
昭和57年、東京都立富士高等学校卒。
高校時代の趣味: バンド(フォーク、ニューミュージック系)、オーディオ(真空管アンプ自作とか)、部活は中高と軟式テニスだったがこれでもかというほど上達しなかった
同年、東北大学工学部化学系入学。
本当は電気系が第一志望で、第二が応用物理だった。それ以外は興味なかったのだけれど、第六希望まで学科を書く欄があったので、適当に埋めておいたら、上記二つは落ちて、化学に引っかかった。どうすべきか考えたのだけれど、ここで引っかかったのも何かの縁、あらためて見てみると、化学も物理も違うようで似ているところもある。それにどうも将来の応用範囲も広そうだ、というわけで、でも実際にはせっかく合格したのにもったいない、程度の気持ちもあり、行ってみることに。
よくある話だが、講義には最低限しか出席せず。いや実際には最低限以下しか出席しなかったせいもあり、教養部から学部に上がるところで必要な単位をそろえられずに留年。人生初の大きな挫折(?)。でもすぐにけろっと立ち直り、次の1年は以前から興味があった喫茶店のウェイターのバイト(といってもほとんどフルタイム)。ファミリーレストランのホール係も。親に、一応この1年の学費と生活費は自分で稼ぎますといった手前もあるのだけれど。いわゆる水商売はきつい部分もあるけれど、けっこう楽しかった。私は料理も好きだし、今でも飲食業には興味を持っている。
その後学部に上がると、びっしりと詰まったスケジュールにひーひー言いながらなんとかやっていく。配属研究室を選ぶときになっても、自分が何をやりたいのか明確な希望がなく、あれはいや、これはつまらなそう、という消去法で、最もつまらなくなさそうだった(先生スミマセン ^^;)有機合成化学を選択。結果的にこれをその後25年以上続けることになる。
大学4年次の卒業研究だけで社会に出て行っても、とても使い物になるとは思えず、大学院修士課程に進学。当時は修士2年になってから就職活動を開始してもまだ間に合った。就職か博士課程進学かという選択では、化学に対する興味だけをドライビングフォースに、あと3年(あるいはそれ以上)の研究生活はできないかなと思い、また合成化学を生かした創薬研究というものに興味がわいていたので、製薬会社への就職を希望。
さらさらっと調べてみると、大手の多くはドクターをけっこう採用している。そうなると修士では不利かも知れない(と当時は思った)。そうでなくても、いわゆる同族会社や学閥が顕著なところも避けようとかちまちま考え、さらに当時けっこう入れ込んでいたモータースポーツも快適に続けられそうな場所に研究所があるからという、不純な動機もあり、協和発酵を選択。研究室の先輩のつても頼ったりした結果、無事内定をいただく。いわゆるバブル期で、当時の学生は、できがよかろうが悪かろうが、たいがい希望するところに行けたものだ。今だったら自分など決して採用されていなかっただろう。バブル崩壊後から今まで苦労されている学生のみなさんには申し訳ないくらい。
大学時代の趣味: 車の運転、高じてモータースポーツ(ジムカーナ参戦、レースオフィシャル)、音楽制作(ギター、キーボード、ベース、リズムマシン、シーケンサー等駆使してオリジナルアルバムみたいなものをカセットテープで作った)、なんちゃってなバンド遊び、スキー、料理
平成元年に入社後、予定通り合成化学の研究室に配属され、鍛えなおされる(^^;)。その後自分なりに一所懸命仕事をした結果、幸運にも複数の論文をシリーズで発表することができ、それをもとに1998年論文博士を取得。このあたりでようやく、人生に向かって真剣に取り組みだしたような気が・・・。
協和発酵での主な成果:アミノフラボンと呼ばれる新規メカニズムの抗癌剤候補を創出、NCIへ導出後、さらにTigris Pharmaceuticalsへ導出され、各種固形癌を対象に臨床試験に進んだ。関連ブログエントリーはこちらとこちら。博士号もこの研究に関する一連の論文発表によりいただいた。
協和発酵時代の趣味: 引き続きジムカーナ、バンド(年1回会社の文化祭!で演奏)
2000年春、当時共同研究プロジェクトを行っていたシリコンバレーのバイオベンチャー、Geron Corporationに、Visiting Scientistとして1年間の予定で出向。36歳にして初の海外経験。アメリカのバイオベンチャーというものを実体験する。
まずは移民の多さに驚いた。社員の出身国は軽く10カ国を超える。しかしながら日本人はいない。シリコンバレーが何なのかもよく知らず、貧弱な英語で満足なコミュニケーションも取れないながら、1年間過ごすうちにこれでいいのだろうかと思うようになる。その間にわかったのだけど、シリコンバレーは、年間を通じて科学技術のオリンピックをやっているようなところだ。その中で、仮にも科学技術立国とか言っちゃってる日本の存在感が、まったくといっていいほどない。漠然とだけれど、このままではいずれ日本だけが世界から取り残される、これではまずいのではないだろうかと感じるようになった。
一方で、シリコンバレーは大変気候がよい。これでもかというような青空。ほどよい気温。住む場所として、これほど快適なところはない。しかも日本の食材も十分にある。ここにもっと住んでみたいと思った。1年たっても英語にはまったく自信がなかったけれど、それでも何とかなるさと思わせる、そういう土地でもある。というか、快適な気候と雰囲気が、人々を楽観的にさせる場所なのである。
そんなこんなで移住を決意した。個人主義が徹底しているアメリカ、Geron社としては、私が来たいのなら受け入れる用意があると言ってくれた。どうせなら永住権を取って、腰を落ち着けてやってみようと思った。
協和発酵に対しては、裏切るような形になってしまい、大変心苦しかったのは確かだけれど、所詮自分の人生は自分で決めていく必要があるし、やってみて失敗するのならあきらめもつくが、やらずに後悔することにはなりたくないという思い、そしてこのチャンスを逃したら二度と同じチャンスは来ないだろうという直感があった。自分がアメリカで活躍できれば、結果的に協和発酵には、将来何らかの形で恩返しができるはずだとも思った。
かくして2001年8月、家族と共にアメリカに移住した。Senior Scientist at Geron Corporation。
ご家族は反対されなかったのですかという質問をよく受けるけれど、まあ最終的には反対されませんでした(笑)。特に妻は、海外経験はおろか英語もからっきしだめだったにも関わらず楽観的な部分があり、一度きりの人生、思い切ってやってみるのもいいのでは(笑)と言う感じで、「あらよ」っと太平洋を越えてしまいました。
しかしながら2001年以降、シリコンバレーの景気は急降下。渡米から1年半後の2003年1月、早速私もレイオフの洗礼を受けることになる。が、その頃までに私は、レイオフされることさえある意味楽しめる余裕というか楽観性ができていた。これをよい機会と捉え、あらたなスタートアップの仕事を探すことにした。そのあたりはシリコンバレー転職騒動にまとめてあります。
そんなこんなで2003年6月から、Anacor PharmaceuticalsでSenior Scientistとして働いています。待遇は決して悪くないのですが、そろそろpromotionとかあってもいいのに(笑)。
2008年1月追記: 今年からAssociate Directorになりました(^^)。
2009年12月追記: 今年始めからResearch Leaderというタイトルになりました。
Anacorでの主な成果:爪白癬治療薬Kerydinの創出に深く関わり、さらにAN2728とAN2898という2化合物を創出。Psoriasis(乾癬)とアトピー性皮膚炎の外用剤として臨床試験中。関連ブログエントリーはこちらとこちら。
2015年7月追記:AN2728はCrisaboroleという名前になり、アトピー性皮膚炎に対するPhase 3のトップライン(ポジティブ)データがリリースされました。
2016年5月追記:医薬品大手のPfizer(ファイザー)社が、Anacorを$5.2ビリオンで買収するというニュースが発表になりました。
作者: 赤間 勉 (Tsutomu Akama)
アメリカ、カリフォルニア、シリコンバレー (Sunnyvale市) 在住。妻と子供二人は2014年以降東京在住。Palo Altoにあるスタートアップバイオベンチャーで、リスクたっぷりのスリリングな環境を楽しんでいます。専門はmedicinal chemistry (2016年4月現在)。
Japan Bio Community のオーガナイザーもしています。
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子供の頃は、親が転勤族だったこともあり、水戸(生まれ)→東京→新潟→帯広→東京、と東日本を転々とする。それぞれの場所が、住めば都だった。
有明幼稚園(新潟)
新潟市立浜浦小学校(1~5年)
帯広市立柏小学校(6年)
帯広市立第六中学校(1~2年)
杉並区立東田中学校(3年)
小中学校時代の趣味: 野球、プラモデル、アマチュア無線、エレクトロニクス工作、魚釣り、フォークギターなど。
昭和57年、東京都立富士高等学校卒。
高校時代の趣味: バンド(フォーク、ニューミュージック系)、オーディオ(真空管アンプ自作とか)、部活は中高と軟式テニスだったがこれでもかというほど上達しなかった
同年、東北大学工学部化学系入学。
本当は電気系が第一志望で、第二が応用物理だった。それ以外は興味なかったのだけれど、第六希望まで学科を書く欄があったので、適当に埋めておいたら、上記二つは落ちて、化学に引っかかった。どうすべきか考えたのだけれど、ここで引っかかったのも何かの縁、あらためて見てみると、化学も物理も違うようで似ているところもある。それにどうも将来の応用範囲も広そうだ、というわけで、でも実際にはせっかく合格したのにもったいない、程度の気持ちもあり、行ってみることに。
よくある話だが、講義には最低限しか出席せず。いや実際には最低限以下しか出席しなかったせいもあり、教養部から学部に上がるところで必要な単位をそろえられずに留年。人生初の大きな挫折(?)。でもすぐにけろっと立ち直り、次の1年は以前から興味があった喫茶店のウェイターのバイト(といってもほとんどフルタイム)。ファミリーレストランのホール係も。親に、一応この1年の学費と生活費は自分で稼ぎますといった手前もあるのだけれど。いわゆる水商売はきつい部分もあるけれど、けっこう楽しかった。私は料理も好きだし、今でも飲食業には興味を持っている。
その後学部に上がると、びっしりと詰まったスケジュールにひーひー言いながらなんとかやっていく。配属研究室を選ぶときになっても、自分が何をやりたいのか明確な希望がなく、あれはいや、これはつまらなそう、という消去法で、最もつまらなくなさそうだった(先生スミマセン ^^;)有機合成化学を選択。結果的にこれをその後25年以上続けることになる。
大学4年次の卒業研究だけで社会に出て行っても、とても使い物になるとは思えず、大学院修士課程に進学。当時は修士2年になってから就職活動を開始してもまだ間に合った。就職か博士課程進学かという選択では、化学に対する興味だけをドライビングフォースに、あと3年(あるいはそれ以上)の研究生活はできないかなと思い、また合成化学を生かした創薬研究というものに興味がわいていたので、製薬会社への就職を希望。
さらさらっと調べてみると、大手の多くはドクターをけっこう採用している。そうなると修士では不利かも知れない(と当時は思った)。そうでなくても、いわゆる同族会社や学閥が顕著なところも避けようとかちまちま考え、さらに当時けっこう入れ込んでいたモータースポーツも快適に続けられそうな場所に研究所があるからという、不純な動機もあり、協和発酵を選択。研究室の先輩のつても頼ったりした結果、無事内定をいただく。いわゆるバブル期で、当時の学生は、できがよかろうが悪かろうが、たいがい希望するところに行けたものだ。今だったら自分など決して採用されていなかっただろう。バブル崩壊後から今まで苦労されている学生のみなさんには申し訳ないくらい。
大学時代の趣味: 車の運転、高じてモータースポーツ(ジムカーナ参戦、レースオフィシャル)、音楽制作(ギター、キーボード、ベース、リズムマシン、シーケンサー等駆使してオリジナルアルバムみたいなものをカセットテープで作った)、なんちゃってなバンド遊び、スキー、料理
平成元年に入社後、予定通り合成化学の研究室に配属され、鍛えなおされる(^^;)。その後自分なりに一所懸命仕事をした結果、幸運にも複数の論文をシリーズで発表することができ、それをもとに1998年論文博士を取得。このあたりでようやく、人生に向かって真剣に取り組みだしたような気が・・・。
協和発酵での主な成果:アミノフラボンと呼ばれる新規メカニズムの抗癌剤候補を創出、NCIへ導出後、さらにTigris Pharmaceuticalsへ導出され、各種固形癌を対象に臨床試験に進んだ。関連ブログエントリーはこちらとこちら。博士号もこの研究に関する一連の論文発表によりいただいた。
協和発酵時代の趣味: 引き続きジムカーナ、バンド(年1回会社の文化祭!で演奏)
2000年春、当時共同研究プロジェクトを行っていたシリコンバレーのバイオベンチャー、Geron Corporationに、Visiting Scientistとして1年間の予定で出向。36歳にして初の海外経験。アメリカのバイオベンチャーというものを実体験する。
まずは移民の多さに驚いた。社員の出身国は軽く10カ国を超える。しかしながら日本人はいない。シリコンバレーが何なのかもよく知らず、貧弱な英語で満足なコミュニケーションも取れないながら、1年間過ごすうちにこれでいいのだろうかと思うようになる。その間にわかったのだけど、シリコンバレーは、年間を通じて科学技術のオリンピックをやっているようなところだ。その中で、仮にも科学技術立国とか言っちゃってる日本の存在感が、まったくといっていいほどない。漠然とだけれど、このままではいずれ日本だけが世界から取り残される、これではまずいのではないだろうかと感じるようになった。
一方で、シリコンバレーは大変気候がよい。これでもかというような青空。ほどよい気温。住む場所として、これほど快適なところはない。しかも日本の食材も十分にある。ここにもっと住んでみたいと思った。1年たっても英語にはまったく自信がなかったけれど、それでも何とかなるさと思わせる、そういう土地でもある。というか、快適な気候と雰囲気が、人々を楽観的にさせる場所なのである。
そんなこんなで移住を決意した。個人主義が徹底しているアメリカ、Geron社としては、私が来たいのなら受け入れる用意があると言ってくれた。どうせなら永住権を取って、腰を落ち着けてやってみようと思った。
協和発酵に対しては、裏切るような形になってしまい、大変心苦しかったのは確かだけれど、所詮自分の人生は自分で決めていく必要があるし、やってみて失敗するのならあきらめもつくが、やらずに後悔することにはなりたくないという思い、そしてこのチャンスを逃したら二度と同じチャンスは来ないだろうという直感があった。自分がアメリカで活躍できれば、結果的に協和発酵には、将来何らかの形で恩返しができるはずだとも思った。
かくして2001年8月、家族と共にアメリカに移住した。Senior Scientist at Geron Corporation。
ご家族は反対されなかったのですかという質問をよく受けるけれど、まあ最終的には反対されませんでした(笑)。特に妻は、海外経験はおろか英語もからっきしだめだったにも関わらず楽観的な部分があり、一度きりの人生、思い切ってやってみるのもいいのでは(笑)と言う感じで、「あらよ」っと太平洋を越えてしまいました。
しかしながら2001年以降、シリコンバレーの景気は急降下。渡米から1年半後の2003年1月、早速私もレイオフの洗礼を受けることになる。が、その頃までに私は、レイオフされることさえある意味楽しめる余裕というか楽観性ができていた。これをよい機会と捉え、あらたなスタートアップの仕事を探すことにした。そのあたりはシリコンバレー転職騒動にまとめてあります。
そんなこんなで2003年6月から、Anacor PharmaceuticalsでSenior Scientistとして働いています。待遇は決して悪くないのですが、そろそろpromotionとかあってもいいのに(笑)。
2008年1月追記: 今年からAssociate Directorになりました(^^)。
2009年12月追記: 今年始めからResearch Leaderというタイトルになりました。
Anacorでの主な成果:爪白癬治療薬Kerydinの創出に深く関わり、さらにAN2728とAN2898という2化合物を創出。Psoriasis(乾癬)とアトピー性皮膚炎の外用剤として臨床試験中。関連ブログエントリーはこちらとこちら。
2015年7月追記:AN2728はCrisaboroleという名前になり、アトピー性皮膚炎に対するPhase 3のトップライン(ポジティブ)データがリリースされました。
2016年5月追記:医薬品大手のPfizer(ファイザー)社が、Anacorを$5.2ビリオンで買収するというニュースが発表になりました。
2018年2月追記:2017年暮れに日本に帰国。看板なし、メニューなし、ウェブサイトなしの隠れ家系ビストロ(?)のオープンを目指して準備中。
2002年から、Japan Bio Communityの立ち上げに関わり、以来ずっとオーガナイザー(のひとり)をしている。JBCの立ち上げの経緯はこちらに。
現在の趣味: JBCバイオ合宿と夏のBBQ大会のオーガナイズ、料理(食事会を開催)、BBQのメニュー開発、ボカロ(GUMI)を使った音楽制作など
2007年1月6日
2009年1月5日アップデート
2009年12月31日アップデート
2010年1月16日アップデート
2013年1月27日アップデート
2015年4月19日アップデート
2016年6月21日アップデート
2002年から、Japan Bio Communityの立ち上げに関わり、以来ずっとオーガナイザー(のひとり)をしている。JBCの立ち上げの経緯はこちらに。
現在の趣味: JBCバイオ合宿と夏のBBQ大会のオーガナイズ、料理(食事会を開催)、BBQのメニュー開発、ボカロ(GUMI)を使った音楽制作など
2007年1月6日
2009年1月5日アップデート
2009年12月31日アップデート
2010年1月16日アップデート
2013年1月27日アップデート
2015年4月19日アップデート
2016年6月21日アップデート
2018年2月28日アップデート
by a-pot
| 2005-01-03 15:26
| 筆者プロフィール