2005年 06月 17日
日米の違い -緩急の使い分け(2)- |
先月、日経新聞の記者の方から、そして昨日は、日経ビズテックのライターの方からインタビューを受けた。
日経新聞の方は、アメリカで働いている日本人Ph.D.ということで、日本のポスドク1万人計画で大量に発生したポスドクの受け皿をどうするのかという問題に関連した取材。日本国内での就職先が限られる中、海外(アメリカ)の状況はどうかという点について。
日経ビズテックというのは、MOTに関する内容を中心にして、昨年創刊された雑誌。日本のエンジニアには現在モチベーションが不足していて、閉塞感が蔓延しているとのこと。そのあたりをこれからどうしていけばいいのかみたいな話。
これらに限らず、こちらに来てからというもの、日米の違いなどについて聞かれる機会が多い。違うようで違わないこと、違わないようで違うこと、どちらもいろういろあるのだけれど、最近とみに思うことがある。それはしばらく前にも少し書いたけれど、緩急の使い分けということだ。
日本人と比べて、アメリカの人たちは危機に強いといわれる。私も本当にそのとおりだと思う。そして私がそう思う理由は、アメリカの人たちは日本の多くの人たちと比べて、通常とてもリラックスしているからいうことだ。だからここ一番というときに力を発揮できるのである。もちろんこちらの人たちにしてみれば当たり前のことで、リラックスしているという自覚さえないかも知れない。でも日本人の私から見ると、そう強く思うのである。なぜか。日本人は四六時中緊張を強いられているからだ。会社に1分でも遅刻したくない。昼休みはきっちり1時間。ちょっとでも過ぎると冷や汗物。定時になる前には帰れない。その後でも上司がいる間は帰りにくい。ちょっとしたポカでも必要以上に責められる。フレックスタイム制度はあるけれど、実態は全然フレックスではない。勤務時間中にネットサーフィンなど絶対にしてはいけない。いつもいつも、すべてにわたって「きちんと」していなければならない。他にもいろいろあると思うけれど、そういう職場は多いのではないだろうか。それらがすべて悪いわけではないけれど、ある程度成熟した社会では、そこまでしなくても、と思う。こういった制約は基本的に、「社員は放っておくとさぼるものだ」という前提の上に構築されている。社員は信用されていないのだ。
一方アメリカの会社の職場にはそういった類の緊張感がまったくない。バイオベンチャーの場合ではあるけれど、完全フレックスなので遅刻、早退という概念さえない。休憩やランチもまったく自分の都合で、何時にどれだけとってもよい。出社、帰宅時刻はまったく本人次第。怒るより褒める文化。その基本にあるのは、「社員はすきなようにやらせるのが最も効率が上がる」という前提で、基本的に社員を信用するところから始まっているように思う。より正確には、自分だってそうだ(あるいはそうだった)からという最もシンプルな理由によるのではないかと思うけれど。だからアメリカの会社では、本人がさぼろうと思えば相当さぼり倒すことも可能だ。でもそういう人は、そのうちにちゃんと、それ相応の結末を迎えることになるのである。
話を戻すと、そういうリラックスした環境の中で仕事をしているということには、がちがちに縛りつけられているのと比べて、単なるリラックス感以上に、計り知れない効果があるのではないかと思うのだ。例えばここぞというところで思い切り力が出せることによって、たとえ実働時間は短くても、結果的には意外と大きなブレークスルーが生まれたりしているのではないだろうか。QOLという観点も含め、のびのびとリラックスして仕事ができる環境というのは、トータルの生産性で考えても、相当プラスになるのではないかと思う。
日経新聞の方は、アメリカで働いている日本人Ph.D.ということで、日本のポスドク1万人計画で大量に発生したポスドクの受け皿をどうするのかという問題に関連した取材。日本国内での就職先が限られる中、海外(アメリカ)の状況はどうかという点について。
日経ビズテックというのは、MOTに関する内容を中心にして、昨年創刊された雑誌。日本のエンジニアには現在モチベーションが不足していて、閉塞感が蔓延しているとのこと。そのあたりをこれからどうしていけばいいのかみたいな話。
これらに限らず、こちらに来てからというもの、日米の違いなどについて聞かれる機会が多い。違うようで違わないこと、違わないようで違うこと、どちらもいろういろあるのだけれど、最近とみに思うことがある。それはしばらく前にも少し書いたけれど、緩急の使い分けということだ。
日本人と比べて、アメリカの人たちは危機に強いといわれる。私も本当にそのとおりだと思う。そして私がそう思う理由は、アメリカの人たちは日本の多くの人たちと比べて、通常とてもリラックスしているからいうことだ。だからここ一番というときに力を発揮できるのである。もちろんこちらの人たちにしてみれば当たり前のことで、リラックスしているという自覚さえないかも知れない。でも日本人の私から見ると、そう強く思うのである。なぜか。日本人は四六時中緊張を強いられているからだ。会社に1分でも遅刻したくない。昼休みはきっちり1時間。ちょっとでも過ぎると冷や汗物。定時になる前には帰れない。その後でも上司がいる間は帰りにくい。ちょっとしたポカでも必要以上に責められる。フレックスタイム制度はあるけれど、実態は全然フレックスではない。勤務時間中にネットサーフィンなど絶対にしてはいけない。いつもいつも、すべてにわたって「きちんと」していなければならない。他にもいろいろあると思うけれど、そういう職場は多いのではないだろうか。それらがすべて悪いわけではないけれど、ある程度成熟した社会では、そこまでしなくても、と思う。こういった制約は基本的に、「社員は放っておくとさぼるものだ」という前提の上に構築されている。社員は信用されていないのだ。
一方アメリカの会社の職場にはそういった類の緊張感がまったくない。バイオベンチャーの場合ではあるけれど、完全フレックスなので遅刻、早退という概念さえない。休憩やランチもまったく自分の都合で、何時にどれだけとってもよい。出社、帰宅時刻はまったく本人次第。怒るより褒める文化。その基本にあるのは、「社員はすきなようにやらせるのが最も効率が上がる」という前提で、基本的に社員を信用するところから始まっているように思う。より正確には、自分だってそうだ(あるいはそうだった)からという最もシンプルな理由によるのではないかと思うけれど。だからアメリカの会社では、本人がさぼろうと思えば相当さぼり倒すことも可能だ。でもそういう人は、そのうちにちゃんと、それ相応の結末を迎えることになるのである。
話を戻すと、そういうリラックスした環境の中で仕事をしているということには、がちがちに縛りつけられているのと比べて、単なるリラックス感以上に、計り知れない効果があるのではないかと思うのだ。例えばここぞというところで思い切り力が出せることによって、たとえ実働時間は短くても、結果的には意外と大きなブレークスルーが生まれたりしているのではないだろうか。QOLという観点も含め、のびのびとリラックスして仕事ができる環境というのは、トータルの生産性で考えても、相当プラスになるのではないかと思う。
by a-pot
| 2005-06-17 14:48
| SVの暮らし